親鸞・恵信尼
親鸞聖人について
浄土真宗の開祖・親鸞聖人が承元の念仏弾圧(1207年)で越後国府に御流罪となったのは、今から800年前のこと。この地で聖人は、罪を許されるまでの4年、さらに常陸国(現茨城県)に旅立つまで3年の計7年を過ごしたといわれています。この間、恵信尼と出会い結婚、子どもにも恵まれました。雪国での生活は暗く、苦しいという印象を受けますが、聖人は恵信尼に支えられ、その信仰を深めていったといわれています。聖人が著した『教行信聖』には「海」とつく言葉が繰り返し出てきます。これは、越後国府での生活が聖人の思索に深い影響を与えたという証といえるでしょう。聖人が没して750年。聖人の足跡が今なお残る、上越の名所・旧跡を訪ねてみましょう。
恵信尼について
親鸞の妻、恵信尼は晩年を板倉で暮らし、この地で亡くなりました。その生涯は流罪となった親鸞を支え、東国に移住してからは各地を転々とし、晩年は板倉に移り、飢饉のなか子供や孫たちまでも面倒をみるといった苦難の多いものでした。しかし恵信尼は、そうした苦難にも負けず、逞しく、ときにはユーモアをもって、当時としては稀な87歳をこえる長寿を全うしました。恵信尼が残した「恵信尼文書」は、恵信尼や親鸞の生活をあざやかに描き出し、また鎌倉時代の女性の筆による史料として貴重なものとなっています。
恵信尼・親鸞年表
元号 (西暦) |
恵信尼 年齢 |
親鸞 年齢 |
恵信尼・親鸞関連事項 | 宗教・一般関連事項 |
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承安 3年 (1173) |
1 | 親鸞誕生 | 1月、明恵誕生 | |
安元 元年 (1175) |
3 | 春、法然、専修念仏を唱える | ||
養和 元年 (1181) |
9 | 春、出家 | 閏2月、平清盛没(64歳) | |
寿永 元年 (1182) |
1 | 10 | 恵信尼誕生 | |
建久 3年 (1192) |
11 | 20 | 7月、源頼朝開幕 | |
9年 (1198) |
17 | 26 | 法然「選択本願念仏集」作 | |
正治 元年 (1199) |
18 | 27 | 1月、源頼朝没(53歳) | |
2年 (1200) |
19 | 28 | 1月、道元誕生 | |
建仁 元年 (1201) |
20 | 29 | 六角堂に百日の参籠、聖徳太子の示現の文を得て、法然を信じ、他力の念仏者となる | |
元久 元年 (1204) |
23 | 32 | 11月、法然の七箇条起請文に僧綽空と署名 | 10月、延暦寺衆徒、専修念仏停止を座主真性に訴える 11月、法然、七箇条の制誡を作り、門弟を誡め署名させる |
2年 (1205) |
24 | 33 | 4月、選択本願念仏集を授かる。また、法然の真影を描くことを許される。閏七月、法然の真影に法然真筆の銘を受ける | 10月、念仏弾圧の「興福寺奏状」発せられる |
建永 元年 (1206) |
25 | 34 | 2月、法然の門弟、行空、遵西(安楽)捕らえられる | |
承元 元年 (1207) |
26 | 35 | 2月、専修念仏停止され、親鸞越後国府に遠流 | 2月、法然を土佐に遠流、安楽、住蓮らを斬首 |
建暦 元年 (1211) |
30 | 39 | 3月、明信・信蓮房誕生。 11月、流罪勅免 |
11月、法然勅免により入洛 |
2年 (1212) |
31 | 40 | 1月、法然没(80歳) | |
建保 2年 (1214) |
33 | 42 | 越後を去り、一家で関東に赴く。この年、上野国佐貫において浄土三部経千部読誦を始め、中止して、常陸国に入る | |
承久 3年 (1221) |
40 | 49 | 5月、承久の乱。後鳥羽法皇、順徳上皇、土御門上皇配流 | |
貞応 元年 (1222) |
41 | 50 | 日蓮誕生 | |
元仁 元年 (1224) |
43 | 52 | 末女覚信尼誕生 | |
安貞 元年 (1227) |
46 | 55 | 6月、山徒、法然の墳墓破却 七月、隆寛、幸西、空阿弥陀仏流罪 |
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寛喜 3年 (1231) |
50 | 59 | 三部経千部読誦の自力執心を止める | |
貞永 元年 (1232) |
51 | 60 | 1月、明恵没(60歳) | |
嘉禎 元年 (1235) |
54 | 63 | 善鸞の息男如信誕生。一家、帰洛か | |
延応 元年 (1239) |
58 | 67 | 一遍誕生 | |
建長 5年 (1253) |
72 | 81 | 8月、道元没(54歳) | |
6年 (1254) |
73 | 82 | 恵信尼、この年以前に越後に下り、覚信尼に下人を譲る | |
7年 (1255) |
74 | 83 | 東国の門徒に弾圧激化、異解続出。「安城御影」成る | |
康元 元年 (1256) |
75 | 84 | 5月、息男慈信房善鸞を義絶する。 7月、恵信尼娘覚信尼に下人の譲状を送り、9月、再び譲状を送る |
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正嘉 元年 (1257) |
76 | 85 | 東国門徒の弾圧・異解のりこえる | |
2年 (1258) |
77 | 86 | 3月、高弟真仏没(50歳) | |
弘長 元年 (1261) |
80 | 89 | 恵信尼病む | 5月、日蓮伊豆に流される |
2年 (1262) |
81 | 90 | 11月、親鸞没(90歳)。 12月、覚信尼、このことを恵信尼に知らせる |
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文永 3年 (1266) |
85 | 孫唯善誕生 | ||
5年 (1268) |
87 | 恵信尼没か(87歳) | ||
7年 (1270) |
曾孫覚如誕生 | |||
9年 (1272) |
親鸞廟堂の建立 | |||
弘安 6年 (1283) |
覚信尼没か(60歳) |
関連施設概要
居多ヶ浜記念堂
インドでお釈迦様によって説かれた仏教は、「人の済い」を本願にシルクロードを通って伝えられました。それがある時、人の済いを忘れた仏教界によって「人の済い」を説いた念仏一門が弾圧されました。そして善信(ぜんしん)は承元元年(1207)恩師法然上人と共に流罪となりました。法然上人は土佐の国、善信は還俗させられ藤井善信(ふじいよしざね)となって越後国国府に遠流となりました。京都より歩いて来られ木浦より舟に乗り、この地居多ケ浜に上陸されました。
関係 | 親鸞聖人上陸の地 |
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住所 | 〒942-0085 新潟県上越市五智6-3-4 |
TEL | 025-543-0536 |
連絡先 | 林正寺 TEL 025-543-2726 |
開館期間 | 3月15日~11月30日 |
ホームページ | http://www.web-sight.biz/kotagahama/ |
越後一の宮 居多神社
居多神社は大国主命・奴奈川姫・建御名方命(諏訪神)を祭神とする式内社です。朝廷から弘仁4年(813)に従五位下を、貞観3年(861)に従四位下をたまわりました。古代、越後国司の厚い保護をうけて栄えました。
承元1年(1207)、親驚聖人は越後国府に配流となり、居多ケ浜に上陸した聖人は、まず越後一の宮居多神社に参拝しました。いご建保2年(1214)、常陸国稲田へ旅立つまでの七年間、越後で生活しました。
関係 | 親鸞聖人が越後国府に配流となった際、最初に参拝した |
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住所 | 〒942-0082 新潟県上越市五智 6-1-11 |
TEL | 025-543-4354 |
料金 | 無料 |
ホームページ | http://myhp.joetsu.ne.jp/~gotisato/ |
五智歴史の里会館
五智歴史の里会館は、五智国分寺、居多神社をはじめ親鸞聖人上陸の地、鏡池など上越市の歴史的ルーツ
ともいえる名所・旧跡を巡る絶好のポイントに位置しています。大型バスが止まれる大駐車場に隣接し、観光情報コーナーやお土産品コーナー、無料休息室があり、五智地区はもちろん、春日山、寺町、ゑしんの里(板倉区)などへの観光の拠点としてご利用ください。観光ガイド、歴史学習の研修会などのご相談も承ります。
関係 | 親鸞聖人などの歴史を学べるスポット |
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住所 | 〒942-0082 新潟県上越市国府1-18-28 |
TEL | 025-543-3222 |
開館時間 | 9:00~18:00 |
料金 | 無料 |
ホームページ | http://myhp.joetsu.ne.jp/~gotisato/ |
浄土真宗本願寺派 本願寺国府別院
本願寺国府別院の本堂は寛政10年(1798)に造立、 文化2年(1805)に建立され、総﨔造りの本堂にして、当時の越後地方の寺院建築としては実に稀に見る壮麗なるもので、建築費なども相当多額 のものであったと想像されます。また、内陣の様式なども土地狭き関係から、出内陣として、余間は極端に小さくしてあります。内陣正面の同一須弥 壇上に宮殿(本尊を安置)と厨子(親鸞聖人を安置)とを設置してあるのが特徴で、内陣外陣の天人・その他の彫刻・天井絵、内陣の壁画や外陣 の極彩色等いずれも上方一流の技能が窺われ、地方寺院のものとしては他に比類なきものであり、聖人御旧跡にふさわしい独特の結構様式であります。
名称 | 親鸞聖人を安置 |
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住所 | 〒942-0082 新潟県上越市国府1丁目7番1号 |
TEL | 025-543-2742 |
ホームページ | http://www.kokufu.ecnet.jp/ |
越後五智国分寺
当国分寺は、今から1200年程前の天平13年に聖武天皇が日本の平和と繁栄を祈願して、その国ごとに国分寺と国分寺尼寺を建立された越後の国の国分寺です。本尊が五智如来なので、五智国分寺ともいいます。
また、境内には親鸞聖人の旧跡の竹之内草庵があり、等身大の自刻像が安置されています。
名称 | 親鸞聖人の等身大自刻像が安置されています |
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住所 | 〒942-0081 新潟県上越市五智3-20-21 |
TEL | 025-543-3069 |
ホームページ | http://www5c.biglobe.ne.jp/~etigo/ |
浄興寺
浄興寺は浄土真宗の宗祖親鸞聖人によって創設された寺院です。
聖人は承元元年(1207年)念仏禁止令により越後の国、国府(上越市)に流罪となられましたが、越後滞在七年の後、妻子と共に常陸国(茨城県)へ移られ、笠間郡稲田郷(笠間市稲田町)に稲田禅坊を開かれました。
名称 | 親鸞聖人によって創設された寺院です |
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住所 | 〒943-0892 新潟県上越市寺町2丁目6-45 |
TEL | 025-524-5970 |
ホームページ | http://www.johkohji.com/ |