上江用水(世界かんがい施設遺産)
上江幹線用水路は、新潟県南西部の上越市及び妙高市の山腹沿いを中心に位置し、全長約26kmのとても長い水路です。この水路は、およそ400年前に工事が始まり、先人達の努力によって土水路として完成しました。また、昭和に入ってからは、県営上江用水改良事業や国営かんがい排水事業関川地区などにより改修され、現在のコンクリート三面張り水路となりました。
上江幹線用水路は一級河川関川から取水し、約3,000haの水田に用水を供給しています。なお、受益地では県営ほ場整備事業三和南部地区など基盤整備が実施され、安定した農業経営が行われています。
上江幹線用水路の歴史 ~偉大な先人達の話~
上江用水ができる以前は、小河川や湧水、雨水に頼っていたため、用水不足による不作や干ばつの被害に農民は悩まされていました。一滴の水も欲しい農民たちが自らの農業生産性を確保するために、今から約400年前(天正年間)に関川を堰き止め取水し、それを導く用水路を“自力”で開削したのが、上江用水の始まりと言われています。工事については、以下の3期に分けられます。
【第1期工事 天正年間から正保年間まで(1573~1648年)】
第1期工事では、新井市川上地内から吉木新田地内まで開削されました。
開削工事では、上流の取水口から下流の平野部へ用水を運ぶために、どうしても川上集落の松岡伊右衛門方の屋敷の下に、繰穴隧道(トンネル)を掘削する必要が生じるなど、土木機械の無い時代に人力による難工事が迫られました。
【第2期工事 慶安年間から元禄年間まで(1650~1694年)】
第2期工事では、新井市吉木新田地内から清里村上深沢地内まで開削されました。
第2期工事をリードした人物が、高野村(現、板倉町高野)の庄屋(村の役人)である清水又左衛門でした。水路の堀り継ぎでは、上流部との調整に大変苦労しました。
しかし、清水又左衛門は幕府の直轄領である代官所や高田藩領に、工事の許可を何度何度も願い出ることで、やっと許可を得ることが出来ました。
【第3期工事 明和年間から安永年間まで(1772~1781年)】
第3期工事では、清里村上深沢地内から三和区岡木地内まで開削されました。
第3期工事をリードした人物が、川浦村(現、三和区川浦)の庄屋の下鳥冨次郎でした。干ばつで飲み水さえない農民のために、下鳥冨次郎の父や祖父は幾度も上江用水の堀り継ぎについて代官所に願い出ますが、その度に周辺の村々からの反対があり計画は実現しませんでした。
それでも諦めない冨次郎は、死を覚悟し再び江戸奉行所に行き、農民の窮状と反対する村々の非を訴えました。その結果、1775年にようやく自分達が直営で工事をすることを条件に、堀り継ぎ工事の願いが聞き入れられ、工事が始まりました。工事には莫大な費用を要したため、冨次郎自身の私財を投げ売ってその資金を工事費に充てました。
※詳しくは新潟県HP「農業水利施設の歴史探訪シリーズ vol.1 『上江幹線用水路』」をご覧ください。
上江用水路資料(PDF)
・山に穴をあけた先人たち
・上江用水路録記念パンフレット
上江用水路 山に穴を開けた先人たち ~400年の農民のたゆまぬ努力が今ここに~
施設概要
名称 | 上江用水路(供用開始:1648年) |
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住所 | 妙高市川上地内~上越市三和区岡木地内 受益面積:約2,600ha 水路延長:約26km |
管理者 | 関川水系土地改良区 〒943-0185 新潟県上越市大字長面14番地1 |
TEL | 025-522-5722(関川水系土地改良区) |
FAX | 025-522-5724(関川水系土地改良区) |
ホームページ | http://www.sekikawasuikei.com/ |
アクセスマップ(上江用水記念公園)
上江用水記念公園
〒944-0026 新潟県妙高市川上